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表現の自由は民主主義政治の基礎

あいちトリエンナーレ2019 表現の不自由展・その後 が公開中止になっても、いろいろな報道が続いています。

非難する政治家の中には、問題とされた展示物について、ヘイトスピーチだから、プロパガンダだから、展示は許されない旨の主張をしている方もいらっしゃるようですが、不当な差別があるのか、特定の思想へ誘導しているのか、といった点において、展示物がそのような効果を発揮していることを確認してから発言しているとは思えません。
(表現の自由が人権の中で優越的地位にあるものとされるのは、公の権力に不当な圧力・制限を受けやすい存在だからで、その制限には厳格な判断が要求されるのです。ヘイトスピーチだから、プロパガンダだから、と非難する政治家の方は、その基準をご自身でお決めになっているのではとも感じます。)

表現の自由に関係する出来事が起こったのですから、これを機会に表現の自由について、いろいろ勉強すべきではとも考えます。

表現の自由をことさら憲法で保障しているのは、国民の人権を守るために必要なことだからです。

必要なこととは、自由に自分の意見を言い、意見の異なる人と自由に討論することです。

自分の意見を言い、意見の異なる人と討論することは自由でなければならず、公の権力の影響は本来あってはならないのです。
(影響があったら、公の権力に都合の悪い考えは排除され、都合のいいように統制される危険性があるのです。)

国民の自由な議論による結論は、政策決定につながりますから、表現の自由は民主主義政治の基礎であるといえます。

また、自由に自分の意見を言い、意見の異なる人と自由に討論ができる環境下では、考えがぶつかり合い、競い合う現象が起こります。

したがって、誤った考えは正しい考えに負けて、適切な結論にたどり着くのです。
(思想が自由市場の中で競争して、正しい結論が残るのです。)

つまり、良いか悪いか、本当か嘘か、正しいか誤りか、といったことを、表現の自由には選別する機能があるといえます。

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