いろいろ雑用が多くて、ブログの投稿ができませんでした。
(内閣のことは、特に言いたかったことがあるのに、何も書けませんでした。)
昨日、車で名古屋南部へ行く用事があったので、足を伸ばして、岡田有希子さんのお墓に行ってきました。
(というわけで、岡田有希子さんに関する投稿が続いてしまいました。)
古い話になりますが、彼女が亡くなった場所(東京の四谷)には、あの年の11月(だったと記憶)、実家には名古屋に遺灰が戻って2、3日後(だったと記憶)に、訪れております。
(もちろん、実家は中には入らず、家の前から拝しただけですが。)
しかし、お墓には行っておりませんでした。これは、当時、お墓の情報を知らなかったということもありますが、お墓にはいっておられるのは、岡田有希子というよりも、佐藤佳代さんなのだという意識が強く、そっとしておいてあげたいという気持ちが大きかったからです。
だから、成満寺のことを知った時にも、触れることなく過ごしてきました。ただ、前回の投稿に書いたとおり、ユッコのことを深く感じてしまったために、お墓に行きたいという気持ちが強くなっていました。
また、正確には知りませんが、仏教の弔い上げに回数が近くなっているという認識もあり、いつまでもお参りをすることができなくなるかも、という考えが生じていました。
そこで、初めて、成満寺へ向かった次第です。
昨日は車のナビに従い、もう少しの所まで行ったのですが、そこからの道路がとんでもなく狭いのです\(;゚∇゚)/。
成満寺の駐車場に入ったのは、午後4時を過ぎていました。
境内に入って少し進むと、YouTubeの動画ではユッコのグッズや寄せ書きノート(?)などが置かれている納骨堂(?)という小屋がありましたが、閉じられていて中は見えません。
墓地へ入って右側奥に進むと、佐藤家のお墓がありました。
ポット(?)に入った花が、いくつも並んでいます。
ユッコ関係のことが書かれているので、彼女のお墓だとすぐに分かったのですが、目頭が熱くなりました。
(長い歳月がたっているのにね。)
当たり前のことなのに、佳代ちゃんは亡くなったんだ、ユッコはいないんだ、という言葉が心に浮かびました。
お墓に着く前には、手を合わせたらあんなこと・こんなことを念じようと、いろいろ考えていたのに、動揺してしまったようで、「やっと来ました」ぐらいのことしが、念じることができませんでした。
それでも、名残惜しくて、お墓の周りを歩いたり、無想で手を合わせたりしましたが、今日の目的は終了しました。
さて、以下はあまり長く(詳しく)書きません。
(きちんと書くと際限がありませんので、大まかにします。)
岡田有希子とかユッコとかと書いていますが、彼女の没後は、私の心の中では、佳代ちゃん(佐藤佳代さん)という意識が大きいのです。
適切ではない(全くの正解ではない)ことを承知の上で書きますが、岡田有希子という芸能人は、佳代ちゃんが演じていた役だと、言うべきなのではと思っています。
乱暴かもしれませんが、佐藤佳代さんが自ら岡田有希子を終わりにした、と書くのは、全くの間違いではないと思うのです。
自殺の原因はいろいろ言われていますが、私としては、岡田有希子であることを懸命に続けるうちに、佐藤佳代さん本来の部分が損なわれてしまったのではと、思っています。
(忙しくて、心のバランスが保たれるような私生活はなかったでしょうし、わがままも押し殺して過ごしていたのではと、思っています。)
だから、佳代ちゃんの意志(遺志ではない)を、尊重したいのです。
現在のネット上からは、彼女は芸能界でもっと活躍したかったはずだ・短い芸能活動は無念だったはずだ、という内容を見ることがありますが、私には賛同できません。
(彼女は、悩み苦しんでいたと思います。「くちびるNetwork」をテレビ番組で歌う彼女の表情を、別人のように感じませんでしたか?)
だから、今からでも盛り上げたい、という意図があるものを見ると、私には違和感があるのです。
さらに、著作権法違反と思われる画像・映像が氾濫していますが、彼女はそれを望んだでしょうか?彼女の近親は、ありがたく思っているでしょうか?
そっとしておくというのが、彼女の気持ちを大切にすることにはなりませんか?
(いつもの「独り言」を、お許しください。)
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