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岡田有希子さんの事件の教訓

昨夜、テレビをつけると東海テレビでコード・ブルー‐ドクターヘリ緊急救命‐THE THIRD SEASON(午後9時10分ごろ)の1シーンで、比嘉愛未さん演じる冴島はるかが、床に倒れていた。
冴島が運ばれた後の床に、赤い血が残っている映像を見て、岡田有希子さんの路上にうつ伏せになった写真(当時の写真週刊誌に掲載されたもの)を、思い出した。(コード・ブルーは、いつも完全に見ているわけではないが、THE FIRST SEASONだけはしっかり見たので、その後も気になり、筋(ストーリー)を知る程度に見ている。)
当時の写真週刊誌では白黒(モノクロ)だったのに、なぜ、赤い血を見て思い出したかというと、Webページでカラー状態となった画像を、見たことがあるからである。(現在でも、「岡田有希子 自殺」で検索すると、赤い物の流れた画像を見ることができる。)
その画像が、元からカラーであったかは不明であるが、画像作成ソフト(アプリケーション)を用いれば、白黒に色を付けることも、可能だろうと想像する。
31年以上も経過しているが、他のユッコファンはともかく、自分は彼女の最期の姿をしっかりと、記憶に焼きつけられているのだなと、実感した。

突然話が変わってしまうが、先月の「岡田有希子生誕50年ファンミーティング」に、私は応募せず、参加しなかった。
それは、ファンミーティングの企画および内容と、私の心境が合致せず、楽しめないと思ったからである。
私だって、彼女の笑顔を見たくなるから、写真集を開くことがある。
彼女の笑顔を見ると、優しい気持ちになるが、当時の彼女の心の状態を勝手に想像してしまい、切なくなってしまう。(自分と同じように、年を取ってほしかったとも思う。)
彼女の声を聴きたくなり、CDケースを手にするが、歌を聴くと涙が出るような気がして、棚に戻してしまう時もある。(彼女の歌は、雰囲気も切ないものが多くて、泣いてしまうのだ。)
はたから見れば、いつまで引きずっているんだ、といわれるかもしれない。
他のユッコファンから見れば、長い年月の過ぎた現在は、供養ではなく、彼女のすばらしさ(良いところ)に、感謝する時期だ、といわれるかもしれない。
でもね、私は、芸能人・アイドルの自殺よりも、高校を卒業したばかりの女の子が自殺したことに、主観・主眼があるのだと、自身のことを悟っている。

佳代ちゃんが芸能人ではなく、一般の人であったならば、当然、現在までの扱いはされていないだろう。
もし、芸能人なのだから、特別に扱われてもしかたがないというのなら、少なくとも、日本の法律にのっとって扱われなければならない。
岡田有希子に関する画像および動画が、彼女の意思・意志・遺志とは関係なく、インターネット上に存在している状況が続いている。アップロードした人の考えはともかく、コピー&ペーストが容易であるため、インターネット上に漂流し続けるだろう。(ゴミ拾いのように、減らしていくことは困難である。)
著作権法や肖像権(肖像権については、明文化されていないが。)に基づき、佐藤佳代さんの名誉が守られることを、私は切に希望する。

芸能人は死後に、評価が高まったり、美化・神格化されたりすることも、珍しくないと考えるが、彼女の場合にそれがふさわしいのかという思いもある。(彼女の同級生だった本田美奈子さんが、死亡年齢は異なるが病死であったことと比べてみてほしい。)
佐藤佳代さんのご親族の中に、岡田有希子としての新たなコンテンツの出現を、望まない方がいらっしゃっても、不思議ではないと思う。
また、後追い自殺をしてしまった方のご親族の中に、岡田有希子自体を好ましく思われていない方がいらっしゃっても、不思議ではないと思う。(佐藤佳代さんのご親族の中にも、後追い自殺のことを、申し訳なく心苦しく思われている方がいらっしゃっても、不思議ではないと思う。)

さらに、岡田有希子としての仕事が実態として、個人事業主であったのか雇用される労働者であったのかという議論を、私は知らないが、当時、検証されるべきだったと思う。(清水富美加さんの契約解除の騒動の際、厚生労働省が芸能団体に送った文書に、芸能人も労働者として扱い、雇用契約と見なすこともありえるという認識が示されているという報道があったことが、記憶に新しい。)
31年以上前の当時には、芸能人は個人事業主であるとするのが当たり前だったかもしれない(労働法上の議論もなかったかもしれない)けれど、岡田有希子の活動は16歳~18歳であり、所属芸能事務所の関与や指揮等の実態は、明らかにされるべきだったと思う。(労災事故だったかどうかだけでなく、その後の芸能人と所属事務所の力関係の改善につながり、トラブルも少なくなっていたのではと思う。)

さて、我々は自ら命を失いたくなる人に、本気で寄り添うことができるようになったのか。(岡田有希子さんの事件は、教訓になったのか。)
いじめを原因・理由とする児童・生徒の自殺、長時間労働やパワハラを原因とする労働者の自殺、という報道は、31年以上前の話ではない。
私は、生きることは簡単なことではない、と思っている。(簡単であるとして生きている人の存在は、もちろん否定しない。)
直接的ではなくても、共感や同情で救われることも、あると思っている。(でも、それは、本気、真心で行われることが、前提だ。)

児童・生徒の夏休みも、残りが少なくなってきた。
この時期は、学校の始業を意識する時期で、いじめられている生徒・児童には、プレッシャーが増している。
命の大切さを教育するだけでは、駄目で、頼りにできる人に容易にたどり着けるように、体制を整えてほしいと思う。(救いを求めることは、恥ずかしいことではないし、いじめの相手に屈することでもないということを、生徒・児童に伝えてほしいと思う。)
いじめで困っている児童・生徒の皆さんには、今のうちに救いを求めてほしい。

私は31年以上前、岡田有希子さんの自殺をとても悲しく感じ、彼女の才能のすべてが失われたことを、とても悔しく思った。(その思いは、今も続いている。)
生きていれば、いろいろな可能性がある。(失敗も含めて、いろんなことができる。)
今日は、第二次世界大戦の終戦の日だが、当時の若者の苦しみと、現在のいじめで困っている児童・生徒の苦しみは、質が異なり比較できるものではないと思う。(いじめで本当に苦しんでいる人を、私は理解する。)
頼りにできる人は、必ずいるので、あきらめないでほしい。

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